下記批評は『音楽現代』2015年11月号内で高塚 昌彦(たかつか まさひこ)氏の執筆により掲載された者を転載したものです。
コロコロ価値の変わる現代にあって日々普遍の価値に携わる演奏家は、幸せである。
最初のシューマン/アラベスクが指慣しどころではなかった。
無から生まれる詩のように柔和な、慈しみ深い音が立ちのぼり、空気に溶け込む。
繊細な音感覚、指先の鋭敏!
聴き手の心を癒し、純化していく。
交響的練習曲もテーマの哀しみは濃く、祈りに。
といって続くエチュードは信念に満ちて、対旋律は奮い立ち、クレシェンドは喜々として、リズムの弾み具合がどこか楽天的。
非力なfが所々、ショパンが弾くシューマンに徹したらどうだろう。
後半はヴァイオリニストの佐藤博志を迎えてフランクのソナタ。
長澤が難渋なパートを手中に収めているから、佐藤は思いのまま歌える。
甘美に浸らず情熱に抑制が効き、レチタティーボが思索を奏でる。
フィナーレの主題カノンは切れ目なく、2人の心と技が通い合った。
こんな気高いフランクにそうそう出会えない。